質素倹約が必ずしも美徳とは言えないんじゃないかなと思った話

子供の頃、無駄に多機能な物に憧れてた。変速ギアのついた自転車だとか、アラームの付いた腕時計だとか。その中でも電話帳機能の付いた腕時計と言うのがとてもカッコよく見えましてね、それがとっても欲しかったんですよ。しかし質素倹約を美徳とし、無駄遣いを親の仇のように憎む我が家では、「○○が欲しい」と言ったが最後で「それが何の役に立つの」「そんな余裕はありません」と怒涛の駄目ですスピーチが始まってしまいます。欲しい物があるならお小遣いを貯めて買いなさいと言われるんですが、そもそも我が家のお小遣い制度は完全にランダムで毎月定額もらえると言う物ではありませんでした。お小遣いをねだると「お手伝いもしないのにあげません」と返り、お手伝いした上でねだると「家のお手伝いをするのは当たり前」と返ります。自由に使えるお金を手に出来るのは、両親の機嫌がめちゃくちゃ良い時くらいでしたね。で、いざ欲しい物を買いに行く段階になると「それは無駄遣いだ!」との猛攻を受けます。いやもうホントどうしろって言うんですか、軽く人間不信になりますよ。

とまあ、そんな子供時代を過ごしてきたものですから、当時欲しくて欲しくてしかたなかったけど、どんな手を講じても手に入れられなかった物を発見すると嬉しくなって買っちゃうんですよね。去年念願の腕時計を購入して、先日一年経ちましたけどずっと使ってます。それで改めて思うんですよ、当時に購入したとしても絶対に無駄ではなかっただろうなって。何と言うか素直過ぎたのかな、もうちょっと親を疑う事を知ってればよかったな。

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